寝覚月

 文章を書かないと頭のどこかがめりめりと軋んでゆく気がする。
 記憶も記憶ではなくて,感情を撫で回す騒音器,雑多に横たわっている遅れた漏洩に思えてしまう。

去って

 今年の夏は暑さが厳しかったように思える。けれども去年の夏が暑かったかどうかは憶えておらず,帰着の出来ない何かが含まれ千切られ,簡単に楔を打つ事でしか憶えていられないのはもう毎年の馴染み。

 やおらに起き上がると水とコーヒーを飲む。そして読みかけの本を開く。ぼうっとする。繰り返し。

 去年の夏は何をしていたんだっけ。

 記憶がぽろぽろと零れてゆく。一新されず改めて内省もされず,くどい悪態のようなものが終始に付きまとい年暦と年齢だけが増える。変化は喜ばしい事ではなくなって,維持が迎えられて,単調或いは凡々としたものが肥えてくる。そういうものを鬱蒼としたものだと思う事だって変わらないけれど,それに属する尺の取り方だとか下向きの表情だとか愛想の施し方に差異を感じるようになってしまった。
 差異を感じ受ける事がとりもなおさず的外れだと云われてもそれはそれで構わない。かなしいけれど。

 誰かの汗ばんだ衣服の匂いだけが夏にまつわるイメージ。そして離別。

 水とコーヒーを飲む。そして読みかけの本を開く。ぼうっとする。繰り返し。

帯ゆく熱

 夏の日が近付いてきている。
 冷たいものを飲んで,製氷器では沢山の氷を作っている。
 それでもまだ夏ではない。暑さで奔放が陽炎のように揺れる夏ではないのだまだ。


 毎日毎夜の夢はとても鮮やかで。不憫さや愁然さなどは欠片も無い。
 空を飛んだり超能力を使ったりしない代わりに現実と寸分違わぬレアリテが用意されている。
 夢の中では空もビルもネオンも見上げないし,誰かと居る事だって厭わない。いや,いつも誰かの横に居て,絶えず笑ったり怒ったり喜んだりしている。そして,泣く。
 こんなに大きく口を開けて笑っていてははしたない,とか,わんわん声を張り上げて泣いていては子供みたいだ,とかを考えるとそれはみるみるうちに遠のいていってしまう。
 そして口の端にある笑みの残りや,さっきまで感じていた頬の冷たさに戸惑いを感じる。覚めてしまってはその感覚だけが現実を知らせるものなのだ。


 夏も空も青々とした葉っぱさえも嫌いだった。
 冬と夜と無機質と人工物が好きだった。もっと云えば数字や化学式や赤と黄と黒のコードやテクスチャや表情の無いトランプの絵柄に惹かれた。


 反し,人らしさを求め,今夏はどこへ行こう。 続きを読む
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