夜が溶けて朝が疲れていると,現実味を帯びているくせに幻覚でも夢でもないけったいな感覚になる。それが好きで得も云えぬ鬱蒼感にとことん痺れたいと思う。

 シルヴェッティの“Spring Rain”を聴くと,ジャケットの紫がかった柔らかい部分が目の前に飛び出してくれればいい,とはいつも願う事。原色は鮮やかで目に刺さるけれど長くは保たない。淡い色がねっとり浮揚すればキャンドルライトも敵わないのだ。キャンドルはライターぐらいにしか思っていない。

 好きなものが一過的な匿名性を付与され好きだったものになっていく事に嬉しいとも哀しいとも何も感じない。勿論,危機感なんかも抱かない。どこかで諦めてしまったのは知っている。

 『猫は側にいて欲しい時に限っていつも居ない』と文句を垂れていたが,四六時中側にいて欲しいのであれば,側にいて欲しい時なんて事も自覚しない訳で,構えない時もある事を知っている人間が易々と猫を「気ままだ」とは云えないのである。
 だから横になっている猫をそっと撫でるしかないのである。だから伝わる毛皮の感触がとてもとても優しい。