本当の自分を求める心とは,つまり他人への羨望を希釈した姿な訳で。
探す事もなく,本当の自分は毎秒ごとに生を刻んでいるではないか,と,はたと思ったのである。
誰かを羨ましく思ったりしても,たといその心を腹の中に隠したとしても,
それが己であるからいいではないか,
悪感情自体は悪ではなく,悪感情を抱いた故に引き起こす騒動が悪にとって代わられるのではないか,と,はたと思ったのである。
正当化さえ出来ぬ強さも持ち合わさずに疲弊してゆく人もいれば,
傲慢さを “纒いし美” と装飾する人もいる,
両極の間でなぞられる惑いも悪くないではないか,と,はたと思ったのである。
愛憎が表裏一体であるならば,
無関心はその字の如く,無に帰すものなのだろうか。
ならば無関心になれぬ程,気狂いを投じてみても良いではないか,と,はたと思ったのである。
なんて事を,白猫が寝言で云っていた。
探す事もなく,本当の自分は毎秒ごとに生を刻んでいるではないか,と,はたと思ったのである。
誰かを羨ましく思ったりしても,たといその心を腹の中に隠したとしても,
それが己であるからいいではないか,
悪感情自体は悪ではなく,悪感情を抱いた故に引き起こす騒動が悪にとって代わられるのではないか,と,はたと思ったのである。
正当化さえ出来ぬ強さも持ち合わさずに疲弊してゆく人もいれば,
傲慢さを “纒いし美” と装飾する人もいる,
両極の間でなぞられる惑いも悪くないではないか,と,はたと思ったのである。
愛憎が表裏一体であるならば,
無関心はその字の如く,無に帰すものなのだろうか。
ならば無関心になれぬ程,気狂いを投じてみても良いではないか,と,はたと思ったのである。
なんて事を,白猫が寝言で云っていた。
