2007年01月

* The Scene *

どうして,胸も張れず,度胸も度量も持ち合わせず,易々と無志向で「好き」だと云える?
好きだと伝える自分を愛して欲しいか。
他者を包容出来る自分を自分が最も愛している事,それこそまさに完璧に隠蔽した己自身を認めて欲しいか。
自我と他者はどこまでいっても交わる事は無い。たとい原型と呼ばれるものが各々人間の中にあったとしてもだ。
同意が欲しいか。後押しが鉄壁の守りと信じているのか。転ばぬ先の杖,と名前の付いた体の良い利己的行動に一体いつ気付く?
他者とボーダーラインを引く事でまるで見事な自己顕示をし,欲望を孕ませ,精神的自立にいつまでも憧れるのだな。
交わる事はない。
離れる事もない。
それは死んでも同じこと。

さあて。学術に長け頭でっかちで物事を考えるのと,行動主義を一貫した挙句の玉砕型はどちらが賢いのだろうな。

今日も珈琲は甘くて苦くて美味しいよ。

* So Izi *

煙草を吸う本数が極端に増えた。
上を向いて煙を吐いている瞬間の思惑が“事実”ではなく“真実”だとすれば,煙草を揉み消した時,煙に巻かれるのは連続した日常なのだと,腐った葉っぱを何本吸って消しても気付きたくはない。


我慢は大嫌い。
そして,答えが Yes か No かだけでなくて良かった。

* ESCAPE VELOCITY 1126 *

何かについて。
何かについてゆっくりと考える時間が無い訳ではない。ただ,何かについてに付随する― 煩雑事や葛藤やほくそ笑いや真っ直ぐなもの―と対峙出来るだけのゆとり,それすらも時間の事では無い,勿論客観的な視点や博愛的な思考でも利己的な思惑でも...我が身と自我に関するものから遠く剥離され無理矢理に剥奪された,とある事実だけに縋る浅ましさの行方だけが幸になるかならないかをひたすらに気にしているだけなのである。


いつかの時点で。
いつかの時点で肉体と精神のバランスが崩れる事はざらにある事だとしても,そのけったいなバランスをアンバランスにならぬ様に棒切れを持って歩く様を真似る年頃は過ぎた。
それは君もそうでしょう?
そうして,我が保身の為という,見栄えの良いあからさまなマイナスの言い訳と唾液を一緒に吐き下しては『こんな筈では無かった』と,そこで良心が初めて産声をあげたかのような人間になる。


繰り返す反省。
繰り返す反省ばかり繰り返し,淘汰される人間関係も肉体関係も老いも決心も繰り返されると信じたがっているその姿は,只の夢想だと云うんだよ。
何も無くとも。誰にも云えなくとも。無想とは程遠い道程を“今を生きている”なんて言葉で片付けられる様になれれば,陳腐な,そして唾棄も出来る達観に溺れ生きている様に死んでしまうのさ。
もう知っているね。


自分について。
自分について知っている事と云えば,自分が居る事を誰かに知ってもらえている,と云う事だけだ。
そこから生じる世界を愚弄する癖は貴方も一緒でしょ?
livedoor プロフィール
タグクラウド
QRコード
QRコード
  • ライブドアブログ