2007年04月

ぼんやり

 途端に虚ろになって,虚ろになると哀しくなるので,哀しくなると寄せる身もないと思い込んで,寄せる身もないと思い込むと虚ろになる。
 だから冷えたカフェオレでも不味くはなかった。

 何も云えない。

 眠剤が体に残っていて辛いだけではあるまい。

 “愛しさ故の空回りはいつも結局拒否行動”,か。

 冷えた部屋。唸るエアーコンディショナー。光るランプ。
 彼が乖離した瞬間を見た。


 電話先の母の声色からは何も感じ取れなかった。母の兄が死んだのだと云う現実と,死に関する単純な気持ちしか見えなかった。わたしは全く違う事に支配されていたからだ。
 DSの画面を見ながら操作もせずに項垂れた。


 友人は音楽を小さい音量にしてくれた。そしてそうだともそうでないとも云わずにオレンジジュースを差し出してくれた。
 友人は何も云わないと,他愛もない仕草で聞いてなさそうなふりをすると,いや,実際には共感を示せないという事,勿論,「今,あるのはあの人なのか彼なのか」と問うてこない事も充分過ぎる程に知っていた。
 だからわたしは話したのだろう。雨の中,少しずつの間隔をおいて。


 思い出すのは辛い事ではない。思い出さない様にする事が辛いだけだ。
 そうやって何年も閉じ込めてきたもの。彼に関する ---名前さえ---もの。彼にまつわる一切のものを意識の表面に上らせる事はまだ出来なかった。
 あの年頃に考えそうな倫理や文化,反骨精神,何もかもをも共有出来ずに一人で年齢を重ねるしかなかったのは...何の為と誰の為だったんだろうな。


 水辺の匂いが好きだ。江ノ島を思い出すからだ。突然,ばしゃんと目の前に打ち上げられたヒトデも記憶の中の付箋。
 近くにも水があった事に気付かされた。
 岩場の苔で滑って,携帯電話も腕時計も財布もサンダルも煩わしさも独りも音楽も部屋も放り投げて,着の身のままで泳いだ日はそう昔でもない。
 確かそれも深い夜の日だった。
 深い夜,足裏の砂の感触。ジーンズを履いていても泳げば良かった。そしてあの日と同じ様に濡れ鼠で帰ってゆく。
 馬鹿馬鹿しい事だけれど,頼りない足付きで地や岩を飛ぶ瞬間,子鹿もこんな風なのだろうかという思いがよぎる。
 本当の鹿は知らない。
 パブリックな偶像に固められてプライベートを見せなくなるのは誰もがそうで,時にそれ ---見せない事--- が誉れあるアイデンティティにすげ変わる。あまつさえには警戒心を持ってして自分とはこうだと鼻息を荒くする人間に辟易するのも同じなのでしょう皆ずっと。


 彼が乖離して誰が映る?
 嘘みたいな呪言はようやく飯事の様な気まぐれになる?
 何故,君が幽閉して,何故,君が解放したのか。


 気丈な方ではない。繊細でもないけれど。
 どうやって抱えていこう。
 不動だった虚像は砂の城の様に壊れてしまって直し方を分からない。

ばらばらばら

 夜が溶けて朝が疲れていると,現実味を帯びているくせに幻覚でも夢でもないけったいな感覚になる。それが好きで得も云えぬ鬱蒼感にとことん痺れたいと思う。

 シルヴェッティの“Spring Rain”を聴くと,ジャケットの紫がかった柔らかい部分が目の前に飛び出してくれればいい,とはいつも願う事。原色は鮮やかで目に刺さるけれど長くは保たない。淡い色がねっとり浮揚すればキャンドルライトも敵わないのだ。キャンドルはライターぐらいにしか思っていない。

 好きなものが一過的な匿名性を付与され好きだったものになっていく事に嬉しいとも哀しいとも何も感じない。勿論,危機感なんかも抱かない。どこかで諦めてしまったのは知っている。

 『猫は側にいて欲しい時に限っていつも居ない』と文句を垂れていたが,四六時中側にいて欲しいのであれば,側にいて欲しい時なんて事も自覚しない訳で,構えない時もある事を知っている人間が易々と猫を「気ままだ」とは云えないのである。
 だから横になっている猫をそっと撫でるしかないのである。だから伝わる毛皮の感触がとてもとても優しい。
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