アイスコーヒーの美味しい時期になった。


 今だけ,今だけと思い続けているのは,模範や慣習に囚われた通念が形骸を見,焦りや動揺の根底を知れなくなっているからだ。
 従い,各々の抱えるそれと自分の抱えるそれとの相違を有耶無耶にし,淋しいだとか哀しいだとかをどうして他人に擦り付けられようか。
 それは気弱な言い訳でもあるし,排外を好みそうな成れの果てへのアンセムなのかも知れないと,白い煙の曖昧な道筋を見て思う。
 そうして別の事も考える。天気の事とか猫の食欲の事とか伸びた髪の毛の事なんかを。
 爪弾いて散らしてしまえば残りかすを集める程お人好しでない事も分かるのだろう。そしてそれも今だけ。


 軽薄な連続性を軽視するのと警視するのとでは何が変わってくるのだろうか。